星山博之

製作人
星山博之
別名
純假名: ほしやま ひろゆき
羅馬字: Hoshiyama Hiroyuki
性別
生日
1944年5月13日
卒日
2007年2月7日

簡介

東京都出身の日本の男性腳本家。主にテレビアニメを手掛けた。日本腳本家連盟會員。

中央大學文學部中退。大學4年生の頃に友人のりんたろうに誘われて、アニメ製作會社蟲プロへ遊びに行った事がきっかけで、大學を中退しアニメ界に入る。富野由悠季とはその頃からの同僚。1967年に蟲プロへ入社。文芸製作部に所屬して、テレビアニメ『ムーミン』『さすらいの太陽』などの文芸擔當を務める。1973年に蟲プロが倒産してからは、フリーとして活動した。蟲プロ出身者で作ったアニメ製作會社日本サンライズのロボットアニメには、1970年代終盤から1980年代にかけて多くを執筆。富野由悠季監督作品、高橋良輔監督作品、神田武幸監督作品といったサンライズ作品の多くを手がけた。サンライズ作品以外にも、東映動畫などでも腳本を執筆し、ジャンルもロボットものからファミリーもの、ギャグものまで幅広い。

また、古きよきヨーロッパの映畫のテイストが好みだったらしく、作品にもよくそれが現れている。特にイタリア映畫のネオレアリズモにのめり込んだためか、『機動戦士ガンダム』においてカイ・シデンとミハル・ラトキエのエピソードにおいて、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の代表作『自転車泥棒』のような話がやりたいという発案から來たのは有名な話である。

晩年には自身の著作本『星山博之のアニメシナリオ教室』で「アニメに求められているのは、案外『普遍性』なのだ」と述べた。また、小説家だった大河內一樓が、腳本家に転向する際に、星山が執筆した腳本を100回も読んで「アニメの腳本の書き方」を學んだという。

1999年に、ガンダムシリーズ放映20週年を記念した原點回帰を意図した作品『∀ガンダム』を製作するに當たって、富野由悠季が最初にコンタクトをとった人物でもある。

2007年2月7日、62歳で逝去。

自分が腳本を書いた作品について、星山は「僕が関わった作品は雰囲気がどこかやさしくなる」と語っており、『銀河漂流バイファム』の優しげな演出を見た富野も、自分の作品にこの作風が欲しかったようで嫉妬を抱いたと供述している。

主人公に「僕」の一人稱を使う人物が多く、できるだけ亂暴な口調を避けた優しい言葉づかいが特徴。

製作

姆明

姆明

ムーミン
1969年10月05日
腳本
∀高達

∀高達

∀ガンダム
1999年04月09日
腳本
70
太陽之牙達格拉姆
131
城市獵人
634
福星小子

福星小子

うる星やつら
1981年10月14日
腳本
892
四驅兄弟WGP

四驅兄弟WGP

爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP
1997年01月06日
系列構成
腳本
1593
四驅兄弟

四驅兄弟

爆走兄弟レッツ&ゴー!!
1996年01月08日
系列構成
腳本
1765
銀河女警花

銀河女警花

ダーティペア
1985年07月15日
腳本
1983
無限地帶23

無限地帶23

メガゾーン23
1985年03月09日
腳本
2642
四驅兄弟MAX

四驅兄弟MAX

爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX
1998年01月05日
系列構成
腳本
4480
靈貓

靈貓

Lily C.A.T
1987年09月01日
腳本
4509
新姆明

新姆明

新ムーミン
1972年01月09日
設定
根性青蛙

根性青蛙

ど根性ガエル
1972年10月07日
腳本
大白鯨

大白鯨

ムーの白鯨
1980年04月05日
腳本
超力機器人 伽拉特

超力機器人 伽拉特

超力ロボ ガラット
1984年10月06日
系列構成
腳本
銀河漂流バイファム  消えた12人

銀河漂流バイファム 消えた12人

1985年02月25日
腳本
原作
銀河女警花 OVA

銀河女警花 OVA

ダーティペア
1987年12月27日
系列構成
腳本
阿松

阿松

おそ松くん
1988年02月13日
腳本
おれは直角

おれは直角

1991年01月05日
腳本
蓋塔號

蓋塔號

ゲッターロボ號
1991年02月11日
腳本
霸王大系龍騎士

霸王大系龍騎士

覇王大系リューナイト
1994年04月05日
系列構成
腳本